フィリピンパブにはまっていた私は、可愛いフィリピーナが沢山いるPhilippineに行ってみたいと思っていました。
フィリピンパブで知り合ったフィリピーナがいたのでそのフィリピーナを頼りにPhilippine旅行を決意しました。
実は海外旅行は初めてなのです。
そのときのフィリピン旅行記を書いてみましょう。

Philippineに行くまではとにかく安くPhilippineでお金を使うつもりでプランを考えました。
私が住んでいる所は東海道線沿いなので夜中運行している「ムーンライトながら」を利用しました。
成田空港からPhilippineへ。Philippine Air linePR431便に乗ると約4時間で到着。
日本で知り合ったフィリピーナが出迎えていないのです。

ニノイアキノ国際空港はターミナル1、ターミナル2とふたつあったのです。
連絡が取れない、公衆電話のかけ方がわからない。
後日談だが当時フィリピンの公衆電話は携帯電話にかけられないらしい。
空港の警備員らしき男に頼んで電話を借りようとした。
すると警備員は親切にも電話をかけてくれて、ターミナル1まで送ってくれたのだ。
しかし、これは親切でもなんでもなく金めあてだった。
空港の警備員がだ!
日本では考えられないことだ。
日本がどれだけ生温い国か思い知った。

マニラ市内ロハスブルーバード沿いにあるアロハホテルに泊り、タガイタイという避暑地にも泊ってみた。
ここはタガイタイという火山の火口が観光でき、標高が高く一年を通して涼しい所だ。
マニラの下町的歓楽街はマビニ通りとボコボ通りだろう。
マビニ通りの一本西側にボコボ通りというのがある。
ここは穴場的な遊ぶところがいっぱいある。
夜が怖いと言う方は、昼間遊びに行って女の子とお友達になっといて、夜案内してもらうのも一つの手だ。

フィリピン共和国(ふぃりぴんきょうわこく)は、東南アジアの島国。
首都はマニラ。
フィリピンの東にはフィリピン海が、西には南シナ海が南にはセレベス海が広がる。
正式名称は、Republika ng Pilipinas(フィリピン語: レプブリカ ナン ピリピーナス)、Republic of the Philippines(英語: リパブリク オブ ザフィリピーンズ)。
略称は、Pilipinas(フィリピン語)、Philippines(英語)。
日本語表記による正式名称の訳は、フィリピン共和国、通称はフィリピンです。
漢字では、比律賓と書きます。
比と略されます。

国名は、1542年に、スペイン皇太子フェリペ2世の名から、フィリピナス諸島と名づけられたことに由来します。
1899年のパリ条約によりフィリピンの統治権がアメリカになりますが、アメリカによる植民地化にフィリピンの人々は猛烈に抵抗し、米比戦争が勃発しますが敗戦。
アギナルドは米軍に逮捕され、フィリピンはアメリカの主権の下におかれました。
その後フィリピン議会議員M・ケソンの尽力で、米国議会は1916年ジョーンズ法でフィリピンに自治を認めました。
1934年米国議会はタイディングス・マクダフィー法で十年後の完全独立を認め、Philippine議会もこれを承諾しフィリピン自治領になりました。

第二次世界大戦中に日本が侵攻して激しい戦闘の末、日本軍が占領、1943年にラウレルを大統領として独立(第二共和国)。
しかし、傀儡政権であったラウエル政権はフィリピン民衆の広範な支持をえることができなかった。
この戦争によって、16〜17世紀に作られたマニラのバロック様式の教会は20棟のうち2つを残して破壊され、町も荒廃した。
1945年の日本敗戦に伴い米領に復帰。
1946年、独立(第三共和国)。
マルコス政権が長く続いたが、民衆の不満がありマルコス政権は崩壊した。
戦後、日本と同様極東アジアにおけるアメリカの重要な拠点であり米軍に基地を提供したが、米軍のアジア駐留軍縮小およびピナトゥボ火山の噴火で基地機能の低下により、米軍は軍備を沖縄に集約しフィリピンから撤退しました。